2013年9月29日日曜日

挨拶ってのは、論理的でないね。

A.: coi do .i xu do kanro
B.: go'i .i ki'e .i xu do kanro
A.: .i mi ji'a kanro .i ki'e do

ロジバンの会話として、こんな会話というか挨拶の例が挙がっていた。
これって、英語の挨拶をロジバンに置き換えただけじゃん。
英語の挨拶を知らないと、なんで出会っていきなりお互いの健康診断をはじめるのか理解できない。
日本人だと、「こんにちは」の後は相手個人の健康云々ではなく、「わざわざお越しいただき……」とか、「いいお天気ですね」とか、共通環境の確認から入るんじゃないかな。
「ご機嫌いかがですか」なんて、いきなり相手の状況確認に入るのは親しい人に出す手紙の文面ぐらいだ。
論理的な言語を使っても、挨拶は論理的にはいかないんだな。
そもそも、論理的な挨拶ってなんなんだろう。

2013年9月16日月曜日

心的言語か……

最近、何げに「言語を生みだす本能」という本を読んだ。
表に出てくる言語と、人間が本能的に持っている心的言語とがあって、心的言語では述語主導で、述語が項を特定するソケットを持っているとかなんとか……。
なんだか、途中からロジバンの解説を読んでいるのかと思うような箇所がいくつかあった。
なるほどな。こういうことを知った上でロジバンは作られてるんだな。
ロジバンは文法的曖昧さが無いなんて理由も、この本の後半で理解できた。
ロジバンに興味のある人はぜひ読んでみて。

2013年9月8日日曜日

bridi の作り方

ロジバンは、どうも歴史が浅いせいか、ユーザーが少ないせいか、教材が皆無。
英語で解説されたものがいくつかと、その日本語訳(抄訳)が少々。
仕方ないのでそういうものを読み漁ることになるのだが、なんか理屈っぽくってよくわからん。
まぁ、論理的なところがロジバンのウリなので、普通より理屈っぽいことが大好きな人がアーリーアダプターになっているんだろうね。
とはいえ、ひとまず文が作れないと面白くない。で、ぐわわーっと浅く読み漁った知識でもって作文に挑戦する。

ロジバンの文は、 jufra と呼ばれていて、下記の3つのものが jufra と定義されている。

  1. bridi (命題)
  2. 呼びかけや、気持ちの表現
  3. その他、質問の答えになるもの

ロジバンには慣用句がないとな?

最近、立ち読みした本に、ロジバンは簡潔で論理的な言語であるから慣用句がないと、説明されていた。
慣用句がないのは、使い込まれていないからであって、簡潔だからとか論理的だなんて関係ないんじゃないかな。
言語が使われていく中で、流行り言葉や嫌味っぽい言い回しなんかが何度も繰り返されて慣用句になっていくわけだ。
だから、どんどん使われていくと、その歴史の中で、「『○○』つまりこれは『△△』という意味ですね。ちょっと嫌味をこめた表現で、慣用句になっています」というようなことが、いつの間にかできてしまっているんじゃないのかな。